ピアノトマト 地区大会 感想集 2003−11−2
※ →以後はmtのコメント

・講評
これ以上うまくなったら駄目。相手の存在がその場にあってはじめて言葉が出る。
その感覚はうまさではない。
 脚本や事件がわかってくると、わかった事を再現しようとしてしまう。昨日うまくいった事を、今日もやろうとしてしまう。それは絶対に駄目。
 同じ事をやりながら、同じ事をやらない事が大事。

全体の役者
・獅子舞=祝祭=豊年祭り 農業が起源 腰を落として。
・やる気はもう出さない。時代や文字に触れて役をつかめ。
・役の上のおかあさんではない、その人(役者)であればいい。
・おかあさん=大人である。祖父の子供である。夫に対する妻である。いろいろな相を持っている。それをつかむ事。
・周りの役者達がおもしろおかしくなっていく事でおかあさんのいろいろな面が引き出されてくる。 松子からは姉である事。昭平からは娘である事。等。

・文恵に負担がかからないように。文恵に目がいかないように。周りが引き立つように。今回はストーリーだけが見えた。文恵がストーリーを全てしゃべり、周りが立ってない。
話に肉が付いていない。

・音として獅子舞が聞こえてくる。場面として作るのではなく、気持ちを高めていくもの、過去を感じさせていくもの、気持ちをひっぱりだすものとして。→嵐の後のシーン、厄払いの獅子舞が神社で始まってそれが聞こえてきてもいい。子供が元気になるのも、信二が復活するのもそれにかかってきてもいい。客の気持ちを不安にさせるのに、秀のいらだちをあらわすのに、文恵の過去を思い起こさせるのに、BGMとして使えるかも。ラストは子供達の踊りの乱入があってもいい。父が踊り出そうとしてもいい。

・トマト→ピアノ
とわかっちゃう。えーっ。そう言う手があるのかと展開したい。
→とりあえず、ピアノは見えないようにしておく。

・新しい事件や、新しい物語を起こしていく事で、芝居を作るな。
若い二人を母親がどうとらえていくか。そこをじっくりとみつめていくべき。
母親はこんなにつらいのよ、ではなくて、子供が変わるのを見ている母親がいる事。
子供を見る視線が温かくなる事によってと、母親が変化していく事がわかる。客が変わる。
母より、二人の演技が大切。
・ストーリーとして見えてくるのではないやり方で、いけないのか。訳がわからない劇、どうなっちゃうんだろうの劇の方が面白い。
・失敗してもいいって言ってよ。この悲痛な叫び。どうでてくるか。

・じいちゃんや松子夫婦、松子の子供達、がどう二人を見つめたか、どう変化したか、それぞれが、違って深まって、互いに喧嘩して(優君の事で、あるいは秀ちゃんの事で)、の、それで、家族の中の三人が浮かび上がってくる。

・沈黙がものを語るような芝居が出来ないか。台詞を増やすより有効だと思われる。
・文恵という女性が見えてくる。母はどの子もかわいい。でも子供達の事をどのくらい見てなかったのか。自分だけが一人で頑張ってたのか。一生懸命やっていたのか。それがおかしくって、悲しくって、みえてくればいい。
→虐待の話も、小さい頃だから子供達は覚えてないと思っていたかもしれない。
焼こうとしたのであって焼いてない。そのことは文恵は知らない。

・じいさんが、子供達を見守っている文恵を、見続けている。どう思っているのか。肉親ほどわかったつもりでわかっていない人もいない。誰が何をわかっていて何をわかっていないのだろう。
・こういう時どうするんだろう。わかっちゃったらだめ。悩んでいるおじいさん、その他の登場人物がいる、それが大事。こういう細かいところを大切に。

・重いテーマをそれぞれがそれぞれの役割を理解して演じていた。→十分ではない
マイルームの おばさん・病床の父・チャーリー が
主人公である リー・ベッシー・ハンクにあたえる影響を考えよう。
 もしメリル・ストリープが主役だとすると姉の役のなんと大きい事
・黒子さんたちもっと動きを勉強して、トマトの育つシーンを良くして下さい。
・黒子がトマトの仕掛けを見せちゃっていて意外性がない。
・オープニング、印象的。
・とても、身近に感じられる舞台でした。それゆえにさらによりよい舞台を創り上げて
欲しいという、勝手な思いがあります。実は私、高校生の時、土田先生からもらったコメントで今でも肝に銘じていることがあります。「舞台はほんの一瞬だけれど、それはずっと前からつながっていたほんの一部分。この人物は普段どんな生活をして、どんな会話をしているのか、舞台にはでてこない部分の生活があるんだ。」この言葉を聞いたときはまさに衝撃的でした。当時の自分の舞台に対する甘さを痛切に実感した瞬間でもありました。今回の舞台、申し訳ありませんが、普段の家族の姿が見えてきません。これが、見えてくるとさらに、客席にいる人がこの空間と時をこの舞台に同化できるような気がします。

役者個人
・やや叫びすぎる部分、お母さんのヒステリックな面を出したいがためでしょうが、耳障りに感じるところがありました。→一部分一部分考えていこう

・母親の演技が一番難しいのかなと思いました。二人の兄妹を追い込んでしまう、全ての原因はこの母親一人にある(この芝居で描かれた範囲では)のだから、母の心の動き(特にトマトを食べたシーン)がこの芝居の全てと言っていいように思われました。子供のいない(?)高校生には難しいかもしれませんが、頑張って(いろいろなお母さん達の話を聞いたりして)下さい。
→本当においしいのか、まずいのか、そんな事は、この母親にはどうでもいい。
では、息子作ったトマトを食べる事によって、どんな気持ちになり、何をどんな
    タイミングで言うのだろう。
おいしいというのか、まずいというのか、昔食べたというのか、私と同じというのか

・キャノン、キャノンじゃないよカノン、姉さんが最後に弾いてた奴、言った方がわかりやすい。

・トマト作りをやろうとじいさんが最初に言っていい。はなのたねは蒔けるならと。
・優、母を攻めてるだけ。何をしたいのか本人がわからなくてもいいが、母を攻めているだけではない、何をもがいているのか。もっと大きな違ったものにではないか。
それは、愛?

・まんまの芝居はできないのか。→役をやってる人間がそのまんまそこにいる。
・父と信二、似ていて血のつながっている親子に見える。
→入り婿の一歩引いた感じが必要と同時にそうする事がこの劇に深みを与える必
     要がある。血はひいてないが、技術や農業の心を引き継ぎたい。
同時に、松子と父の意気が合っていないという意味もある。
・竹夫・梅子 初出のシーン、頑張りすぎてて何言っているのか聞こえない。
・優、文恵 ラストのシーン 流れている。
・ラストの曲もっと良いタイミングで余韻残せないか。
・時間があるのなら、もっと長く弾いても良いのではないか。
・梅子年齢がわからない。
・最初のシーン、妹と兄が、兄と妹に見えた。
・踊りがぬめーとして切れがない。
・ラスト、松子とじいちゃんが参加していない。わざと口を出さなかったのか。親族がましてや親と子が殴り合いみたいな喧嘩になったら少しは止めるのでは。
・優が初めて土に触れようとして歩いていくシーンで、もっと躊躇するのかと思ったらすっと行ったので、気持ちがついて行けなくなった。
・お酒を飲むシーン、後半は盛り上がったけれどはじめはシラッとしていた。
・台風の時、外のシーンに何が起きているか、もっとわかっていいのかも。
 →じいさんの行動があるかな。
・母の優と秀に対する接し方の差が足りないかな。
・秀が二度目に来たときに、優が鈍すぎ。
・母が、こういう場合のおかあさんを、典型的に演じていて、物足りない。
・農家の子もイメージ通りで、物足りない。
・おかあさんという典型的な人間はいない。誰々のお母さんと言ったときに、具体的に沢山のイメージが湧く。それだけのものがない。

台本
・獅子舞がもっと劇全体に絡んでくる(あるいは祭り)と期待したのですが……。
踊りもっと見たかった。
→劇の終わり付近に踊り?祭り?いれることは出来ないか。
嵐の来る頃と祭りというのは時期が一致していてかまわない
嵐で中止になりそうになった祭りがやっぱり、実施され、それを知らせに来
      た子供達が、傷心のじいちゃんや父ちゃんを慰めるために踊るとか。

・まずいトマトから、カノンというラストの展開は突然という感じ。
→もうワンクッション。そこに見せ場。台詞?アクション?誰が?
・何故ラストにピアノを弾くのかという気持ちの流れが唐突。

・トマトに水をやりすぎるとまずい……と、人間(子供)に手をかけすぎると……、という重ね合わせがあるのはわかりました。では、トマトに水をやりすぎると、どううまさに結びつくのかを聞きたかった。
→からおけのシーンで梅子が質問する。昭平が答える。
      根を深く広く張るだけでなく、毛耳を出して空気中の水を自分で取ろうとし
      て、トマトが自分自身を強くする。

・じいさんが倒れたのは後半への布石かと思ったがそれで終わった。
→人間は年取っていく。親の老いていく姿をみながら、大人はさらにいろいろな事を感じる。文恵や松子は、父の倒れた事で、ラストシーンがどう変わったのだろう。また、倒れた本人は自分の命が限りあるものである事を自覚する。伝えなければならない事は、伝えておきたいという思いが生じる。ラストシーンは昭平のそんな思いがあらわれてこなければならない。
・じいさんがもう少し台詞があっても良かったと思う。
・祖父が倒れた理由がわからない。→血圧の台詞を前売り

・父と文恵の問題、消化不良。
    →過去の事は過去の事だろう。今後の父と文恵の関係がうかがわれる一言が欲し
     い。
・祖父と母の関係の描き方が曖昧。倒れた事、その後の事。

・何故祖父は祖母にピアノを弾かせなかったのか、その事実を出した意味は何かわからな
 い。 →ラスト付近、文恵と父が関係修復をはかろうとするときに何かのことで触れる。
・ラスト、もう一声。

・トマトをまずいと言って母が食べるが、昔一度だけ食べた事があるわなど、
やっぱり親子だなと思わせる台詞があってもいい。
・最後はあまり説明する劇にならないで、見た人それぞれが「家族」のその後を考えるようになればいい。


小道具
・トマトの栽培法を視覚的に見せていたのは見事でした。→大きな舞台用にもっと大柄に
スムースに
・トマトの芽や葉、もっと沢山つけては駄目なの?寂しすぎ。

舞台美術
セットはシンプルでありながら田舎の家屋を表現していた。→プラスもう一つのイメージ
を加えたい。妹の思い。祖母の思いで。祖父の気持ち
優のとらわれ感


・嵐の音は、強弱をつけたりして、人物の声を聞かせた方がいい。
        →音を出すのに精一杯にならずに、舞台で台詞を音でしゃべっていると
         思って他の役者との声の掛け合いを楽しむ。
・二、三カ所、音が大きすぎて耳が痛かったところがあった。
・車の音が「効果音CD」からのまんまという気がした。
・雨の音、もっときちんとつなげるはず。

照明
田舎の夕暮れの情景が出ていた。→大きな劇場でも出せる事。
木漏れ日、緑が勝ちすぎ?

船橋旭演劇部の目次に戻る