すぐりの実


 おじいさんとおばあさんが歩いていました。
おばあさんの手にはスーパーの買い物袋がちょこんとぶら下がっていました。
おじいさんはステッキをついてぴょこたんぴょこたんと歩いています。
おばあさんもゆっくり歩くので、ふたりはスーパーからおうちまでの木立ちの道を、夕方の気配を楽しみながら帰ってこれるのでした。

 おじいさんとおばあさんが出会ったのは戦争があったからです。おばあさんのおねえさんはあの3月10日の大空襲の日になくなりました。おばあさんが本所下町のお姉さんの家に行ってみると、ぶすぶすと黒くなって煙を上げている柱の下にお姉さんがいたそうです。うまれたばかりのなおみちゃんという女の子を抱いてお姉さんは真っ黒くなっていて、それでもなおみちゃんを抱きしめていた胸のあたりだけがほんのりと白い肌の色が残っていました。
 おばあちゃんは泣きながら、駆けつけてきたおばあちゃんのおかあさんと、お姉さんとなおみちゃんを土の中にうめ、石をつんで木の棒をたててお墓を作ってあげました。おばあちゃんはやっと18才でした。つとめはじめていた会社は焼けずにすみました。皇居の側だったからです。働きました。そろばん片手にお姉さんの分も親孝行するんだと働きました。
 おじいさんとあったのは、戦争があったからでした。戦争が終わって田舎に帰ることも出来ずに東京にやってきたおじいさんは働き口もなかなか見つからず、ふらふらと図書館の前で倒れてしまいました。何日も食べていなかったからです。そこにパンと牛乳を差し出した人がいました。会社の昼休みに公園でお昼を食べていたおばあさんでした。
 おじいさんは、仕事をみつけて働くようになって、二人は一緒に生活するようになりました。ちいさなアパートのちいさな部屋を借りて水は井戸の水を分けてもらい、炊事は七輪を使って外でさんまを焼きました。ささやか、でも毎日にはりがありました。赤ん坊が生まれて、病気の時には両手に抱きかかえて病院に連れて行き、お乳を搾り取っておいてこっそりのませ、働きながら赤ちゃんを育てました。

 夏が近い夕方の風は少しひんやりとして気持ちよく、クヌギの木の下を「ここでよく良夫にカブトムシとってやったな」と今は遠くで働いている息子の話をしながら二人は、コナラやスダジイの木の下をあるきます。
 毎日毎日同じ時間にふたりは買い物に行って二人で帰ってきます。おばあさんは台所でなすをやいたりちくわをきったり、おじいさんは庭の枝豆をくきから食べる分だけもぎったり、しその葉を3枚ちぎったりして、食卓を飾ります。

 あるときおばあさんがふと居ないことにおじいさんは気がつきました。
「あれ、ミョウガでもつみにでたのかな、それならわしがとってやるのに。」と、そとにでてみるとおばあさんは居ません。ものおきに蚊取り線香でもさがしにいったのかとそっちを見たけれど居ません。
 最近ではおばあさんと5メートルも離れて暮らしたことのないおじいさんはびっくりしてしまいました。近くの八百屋さんかなと5軒ほど先の八百屋さんまで行ってみてもおばあさんは来て居ないと言われます。10軒先の豆腐屋さんにいってもみつかりません。
 どうしたのだろう。心配になってきました。近くの公園までおじいさんはぴょこたんぴょこたんと杖をつきながら行ってみました。薄暗くなり始めた公園の垣根の端からブランコの所にまで行ってもおばあさんはいません。
 川の所に行ったのでしょうか。二人でよく川縁でじっと水の音を聞いているのが好きだったから。そうだそこだ、でもなんで一人で行くんだろ。街頭がぽつぽつとつき始めました。川の堤防にやってきてもおばあさんはいません。
 走っている人に声をかけましたがみんな「さあ見かけなかったよ。」「心配しないでおうちに帰ったらどうですか。」みんないろいろとなぐさめてくれ、心配そうな表情のおじいさんを、「暗いから」と森の中を家までおくっててくれました。「きっとうちに帰ってらっしゃってますよ」とこえをかけながら。
 おじいさんは不安で不安で涙が出そうなのをじっとがまんして「どうもありがとう。ああ、きっとうちに居ますよ。」と答えながら、うちが見えるとこまでもどってきました。すると、うちからは橙色の光が窓の形に道に映っていました。
 「あ、いる。」おじいさんはぴょこたんぴょこたん、走り出しました。うちのなかからばっとだれか走り出てきました。おばあさんです。
「おばあさん、どこ行ってたんだよ。」
「おじいさんこそどこいってたの。」
もうよたよたとしている、ふたりはお互いの肩にお互いの手を置いていいあいました。
「おまえをさがしに行ったんだよ。八百屋の常さんとこにも居なくて豆腐屋の川島さんの所にも居なくて公園にも居なくて川まで行って暗くなって」
「まあ。ごめんね」おばあさんは言いました。「スグリをとりにいったの。」
「すぐり?」
「今は実がなっているはずだからとおもって森のスグリを見に行ったの。」
「なんで一人で」
「おじいさん驚かせてあげようと思って、すきでしょスグリの実」
「そりゃわしゃ大好きだけれどなんで今日」
「ほうらやっぱり忘れてる。」
「え?」
「きょうはなんの日」
「だって7月の14日だからおぼん……」
「60年前の今日だったの。私たちの結婚記念日」
「けっこん記念日?」
「ちゃんとした式も挙げなかったけれど籍を二人で入れにいったのは今日だったでしょ」
「ありゃそうだったかな。」
「もう、やっぱり覚えてないんだから。で、あの頃の一番のごちそうだって二人でスグリの実をいっぱいつんで食べたじゃない。それがあたし達の二人だけの式だった。」
「そうだったかな」おじいさんは照れくさいのかなかなか認めません。おばあさんはとうとう怒り出してしまいました。
「だから今日取りに行って来たの。あたしのことなんか何にも覚えてないんだから。」
「馬鹿、川に落ちたんじゃないかと、わしゃ……。」そこまで言っておじいさんは泣き出してしまいました。つれてきてくれた人は思わず笑い出してしまいました。おばあさんはあわてて言いました。
「黙っていってごめんなさいよ、もう。だらしなくなっちゃって。」そして「あの、おじいさんを送っていただいて本当にありがとうございました。」
「いいえ。良かったですね、おじいさん。」
「よかったら、少しですけど食べて下さい。」
「これですか、これがスグリの実というんですか?」
「少しですけれどどうぞ」
「あの、ありがとうでした。」おじいさんもちゃんとお礼を言い、親切な人は新聞紙の切れ端に来るんだスグリの実を持って、にこにこともときた方へもどっていきましたました。

 おじいさんとおばあさんは、ナスやお魚で夕飯を食べたあと、月を眺めながら濡れ縁に腰掛けて、スグリの実を一粒ずつ食べました。
「すっぱいね。」
「でも、甘いでしょ。」
「うん。」
スグリの実は、月の光の下で、やわらかくおじいさんとおばあさんの心のように光っていました。おじいさんとおばあさんが歩いていました。


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