「あの人にわたせ」角田荻原会談のヒント アンド もろもろ


歌は合い言葉 歌に対する背徳行為 それをサフィナはどう考えていたのだろう。
サフィナは、テラに歌は心を豊かにする道具と習っていた。それなのに、それを戦いの道具に変える。どんな気持ちで歌っていたのか。何故平気で歌うようになったのか。

歌。歌を歌う。そのうた自身が人を動かすわけではない。
歌を長年歌い続けている人、どんなときでも歌を使う人。精一杯歌い続ける。そんな生き様。歌っている人間に対して、人は心を打たれる。
または、ある状況が、その歌と重なった時に、心を揺さぶる。
失恋の時に、あるいはテロを実行しようとする真っ最中に歌が聞こえてきたら、心を動かせるだろう。

歌は聴く気がない人には全く有効性がない要素。

歌詞・メロディ・リズム
わかりやすいのはリズム 心臓の鼓動から始まる。速い→熱くなる。
遅い→落ち着く。
メロディー 低い〜高い 変化によって人間の心を誘導する。
歌詞 メッセージ 解釈しわかろうとする部分

パーカッション・メロディー・歌詞 CDと生演奏を自由に組み合わせて、曲を使い分けて良いのではないか。

演奏 子役の一人ならもっと真ん中に入ってみんなでオルガン(野外演奏にふさわしい形に見える工夫必要)を囲んで歌うシーンがあっていい。
BGMとして使うなら舞台面からはずすべき

西の共和国が持つ踊り伝統的。昔ながらの心。民族主義。規則に縛られている。
東のアル・ラッシーネ国、自由主義。ヨーロッパに影響されている。

時限爆弾を背負う。→この伏線が弱い。どこかで心を許していない姿と、爆弾の大きさや運搬方法についての言葉が必要。


オープニング
戦争で悲惨な目に遭っているのがわからないうちに劇が始まっている。

東→ テラ 子供
ハルマ VS サフィナ  意見の対立
カメラ
これは撮影だと言い張る。


東のアルの軍人 VSテラ 子供達 歌を歌い続けている。
テラ、おどけている。でもがんばって歌い続けている。
虐待に対して4年間テラは子供達を歌で引っ張っていた。
体を売っても、子供達を守っている。献身的に尽くしている
前面で ハルマとサフィナが東と西について討論している(例えば政治について)
あたしもあの中の一人だった。あの人たちを助けたい。
その前で自由にディレクターとカメラが移動している。
   撮影のワンカットが終わって、後の子供達が出てくる。
サフィナ、歌いたくない。あの頃は私も歌を歌っていた。歌に対する嫌悪感・無力   感・不信感がサフィナにはある。

ディレクターの思い。
こうなったいきさつをビデオ一本で外圧を呼び、アル・ラッシーネ国の圧力を止めたい。
ジャーナリストを馬鹿にするな。
ジャーナリストに守られて亡命することが出来る。
他国にキャンペーンに行くことが出来る。
国際的世論が動く。

ディレクターが中心に絵を作っていく。
 最初は単純に助けようとしている。
 撮影中に謎を解いていく。
 深く考えて、考えて考えていく。
テラ 成長していく 戦争の中で
民族的な音楽を中心に、西洋の音楽も取り入れる、心の広さがある。
ラエルではその音楽に対するラッシーネ化のために嫌われていた。
ディレクターも 場面を見つめていくうちに 自分も変わっていく。
ディレクター ラエル共和国では認められなかった。ラッシーネではお金を貰える。でもそのわがままな敵を殺せ、地球から消し去れ発言には我慢できない。現実はその商業主義の軍部のコマーシャルなどを作らされている。



恋愛は成立しない方が良い。戦争がただの背景になってしまうから。戦争を重く客に残したいのなら、最後はどうしようもなく終わるべきだ。ハッピーな空気がでたとたんに客は全てを忘れる。
言葉のはしはしに対立が見えるべきだ。考え方の違い。
  例えば育ててくれた朝鮮。誘拐犯の朝鮮。
  年長の者を敬うべきでとりあえず従い、そして改革すべき。
間違いだと思ったら、年長の者であろうとその場で否定すべき。
麻薬を売る。アル・ラッシーネ。
麻薬を売っているのはラエルだ。

音楽学校に取り残された子供達についてのみ共通認識がある。
何故、子供に対して共通意識がもてるのか。親と子の思い出。かけがえのないもの。  子供達を親に会わせてあげよう。この事についてだけは二人は完璧に一致する。

西の小国ラエル共和国に東の大国アル・ラッシーネ国が圧力をかけ続けている。
ラエル共和国は民族を大切にする。そのために全体主義となる。
アル・ラッシーネ国は自由を大切にする。個々の人間の欲が大切にされる。
ラエルは人間を伝統により解放しようとしている。
ラッシーネは、自由意志により個々の幸せを勝ち取ろうとしている。
双方が相手を否定。戦いの意味。

アル・ラッシーネ国の価値観 と ラエル共和国の価値観 がぶつかる。

アイ・アム・サム は喜怒哀楽が中途半端だと思う。
ビューティフル・ライフ はを 父親の子供に対してつく嘘が必死で、そのためにシチュエーション作りにたっぷりと時間をかけているから、深い演技になり、ラストの戦車の登場で笑いがでてくる。状況設定しっかりとやるべきだ。

私のヘレン 詰め込みすぎだと思った。でも二回見てみた時、これはカットできないとわかった。初見でわかるようにドラマを整理すべきだ。
プロットを考える時に、時間軸でここからここまでしか描けないといった 思いっきりが必要

サフィナの骨格
ぼんやりした少女が、家族全員を虐殺されたことにより、復讐の鬼となった。
クライド橋をはじめいくつかの爆破を行った工作員。
民間人の犠牲=やむを得ない。
軍人が暴行を働く=ラエル共和国の行動なら容認する。戦争なんだから。
人殺し。軍に入った時から、殺すことを正義と習った。
得意なことは何?戦うこと?爆破?実行力?もっと別な例えば歌とか踊りとか編み物とか。得意なことがあることにより人間性が出る。

ハルマの骨格
新兵の頃、虐殺に加わり、自分の軍に嫌悪感を覚えた兵士。ただし、個人が自由に動き身勝手なラエルの文化には怒りを覚えている。自分だけが正しいという言い方も嫌い。
徴兵される=殺人が合法化される その事を身をもって体験した人間。
得意なことは何?戦うことは出来るが、逃げることが出来る。音楽、工作?得意なことがあることにより人間性が出る。
認識票を捨てる。女のためだけに捨てたように見える。甘い。徴兵拒否なのだ。重大さを自覚しているだけの演技が必要。

恋愛の比重が大きくなると「愛は全てを救う」になってしまう。救えない。
人殺しをいけないと思っている人しか居ない。

思想の違い
戦争とは
公的な精神部分 国が殺している。→罪の意識がない。
私的な精神部分 個は交流したがっている。
二つの精神部分が遊離する
公的な世界解釈
 自由=資本主義(アメリカ・イスラエルの横暴) 
 共同=共産主義(北朝鮮・ロシアの横暴)
同一民族の分断 外的な力
 一つの価値観を求めた。ラッシーネが悪で、ラエルが善。
 撮影が進行すると共に、複雑な構造が見えてくる。

ハルマとサフィナは同質の人間になってしまっている。
ハルマは既に反省している。サフィナはこれから反省する。二人の骨格に違いがないのが芝居がつまらない原因。

二人が戦っている時に狼が来ては生臭くない。どちらかの兵士が来た時、人間ドラマが生まれる。

いまさら戦争
今もある戦争。自分たちも何かやらないといけない。と、客に思わせる。
つまり、客を安心させる必要はない。
なんとかする。子供達が喜ぶ。→これで客は安心し何とかしなくちゃの思いが消える。
撮影の目的が失敗で終わる。でもうたを歌い続けよう。→客のイメージの中で、まだ失敗して居るんだな という 意識が残る。
戦時下でこんな事がありました、でしかなくなっている。ハッピーエンドで全て忘れ、良かったなで、終わっちゃっている。

東・アル・ラッシーネ国、一家族の話しか出てこない。戦争の持っている面倒くさい社会性、一人の人間だけが改心すれば、なんとかなるじゃん、ではあらわせない。
全体が、ぐちゃぐちゃの様。もう一つの要素が欲しい。

ギャグが必要か?淡々と進んで、時々ホットしてにやりとするだけで良いのではないか。



いろいろ
サフィナが見た地獄が甘く感じられる。→二人の会話から一気に谷の虐殺事件に持って来られないか。
子供達の持っている危機感が見られない。衣装だけでなく、気が狂っていく様がこの芝居のエンジンでしょう。
文明批判。その方が良く頭にはいる。ハルマが二人の時にアル・ラッシーネ国を尊敬する言葉を多く出す。羊の肉は食べない。羊は神の使いだから。健康維持にも役立っている。選ばれた民だ。

ラエル国の母親が、「こちらで私は元気にしている」という手紙を書いて、工作員に頼んだの。工作員は、近くまで行って家がわからなくて農家に聞いたの。「ああ、それは、三軒隣だよ。」と教えて貰った時に、アル・ラッシーネ軍に見つかり、工作員は殺された。お母さんの手紙を届けようとしただけなのに。のみならずアル・ラッシーネ国のその農家の一家も仲間だといって皆殺しにされた。
違う。その農家は、連絡場所になっていたんだ。

おまえ赤ん坊が好きか。赤ん坊は生まれてくる時、名前がないんだ。俺の親も必死に考えたそうだ。あれこれ悩んで二週間後にやっとハルマと決めてくれた。生まれて一週間もたつと俺は、にこにこにこにこ笑ってて、とってもかわいかったって。にこにこにこにこ。おれ、女の人が赤ん坊抱いているの見ると、顔がゆるんじゃうんだ。名前なんかないんだよ。赤ん坊の笑顔があって、俺が居る。名前なんかいらない、赤ん坊はそのままで天使だ。お前は赤ん坊、好きか?
カーナに行かないか。
クライド橋が爆破されたあともしばらく車や建物の爆発が続いたな。それ以後、アル・ラッシーネ軍の兵隊は、おびえるようになったんだ。いつ自分がやられるかわからなくなって、銃の引き金をあちこちで引くようになった。街角で、市場で、バス停で、牧場でカーナ音楽学校の生徒もそうやってうたれたんだ。

あの人達は私たちをこの国から消そうとしている。私たちの血が汚れているからって。
あの人達は私たちの子供は殺して、女は犯してから殺して、男は奴隷としてこき使う。そうして私たちを世界から消して自分たちだけがこの世界に残ろうとしている。そしてあの独特な宗教世界を広げようとしている。許せない。私たちの音楽もなくなってしまう。彼らのやたらつるつるとした上品で上辺だけの音楽に取って代わってしまう。私たちの笛の音の方がずっと心が安まるのに。世界が上辺だけの音楽で覆われてしまう。あの人達のドラムや太鼓をたたき割ってやりたいわ。
でもあの音楽の中にも安らぎはある。あんたはどうして、深い谷の歌を歌っていたんだ?かあさんが好きだった歌なの。

テロリストが現実にベッドに縛り付けられた人間を目の前にして迷う。
ここからのハルマの行動がサフィナをさらに揺さぶっていく。
本当に一緒に動ける、ある信頼、友情、かすかな許しを覚えていくようになる。
学校では、テラが、音楽の一つの頂点を達成している。
テラは、音楽に関してグローバルな人だ。その時その時に応じて、東の曲も西の曲も歌わせる。それが嫌いだったのだが、この持続による一つの成功は何だろう。
きっと何か、殺人以外の方法がある。もう一つの方法がそれを納得させるテラの行動だった。
子供達を親と会わせてあげよう、そんなささいな願いから始めよう。
ハルマとサフィナは手を取り合って行動を起こした。


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